先の2月に全米公開され、『キャプテン・アメリカ ブレイブ・ニュー・ワールド』に次いで興収チャート初登場2位のスマッシュ・ヒットを記録した『ラスト・ブレス』は、究極の悪夢というべきシチュエーションにひとりぼっちで取り残されたダイバーの運命を描くサバイバル・スリラーだ。舞台となる水深91メートルの海底は完全なる暗闇に覆われ、ただでさえ私たち常人の想像が及ばない世界だが、本作の主人公である若き飽和潜水士は命綱を失い、海上からの酸素供給も絶たれたまま深海に置き去りにされてしまう。もはや“生存確率ゼロ”といっても過言ではない、この絶体絶命の危機を脱する手段はあるのか。そのとき必死の救助を試みる人々は、どのように行動したのか。しかも、あらゆる観客を釘付けにするであろうスリルとスペクタクルに満ちた本作は、実際に起こった潜水事故を緻密なリサーチに基づいて映画化したトゥルー・ストーリーなのだ。
潜水支援船のタロス号が北海でガス・パイプラインの補修を行うため、スコットランドのアバディーン港から出航した。ところがベテランのダンカン、プロ意識の強いデイヴ、若手のクリスという3人の飽和潜水士が、水深91メートルの海底で作業を行っている最中、タロス号のコンピュータ・システムが異常をきたす非常事態が発生。制御不能となったタロス号が荒波に流されたことで、命綱が切れたクリスは深海に投げ出されてしまう。クリスの潜水服に装備された緊急ボンベの酸素は、わずか10分しかもたない。海底の潜水ベルにとどまったダンカンとデイヴ、タロス号の乗組員はあらゆる手を尽くしてクリスの救助を試みるが、それはあまりにも絶望的な時間との闘いだった……。
世界中の海底に張り巡らされたパイプラインや通信ケーブルを守る飽和潜水士は、“地球上で最も危険を伴う職業”のひとつと言われている。実在の主人公であるクリスは、視界が閉ざされた極寒の水深91メートルの海底で孤立し、海上との通信手段や酸素供給を失い、生き延びるための最終手段の緊急ボンベも使い果たしていく。生存確率が刻一刻とゼロに近づいていくタイムリミットが“息もつけない”サスペンスを生み出す本作は、それでもクリスの救出を諦めないダイバー仲間の不屈の精神、海上の船で幾多のトラブルに対処する潜水監督官や船長らの苦闘を描出。その結果、この悪夢のような深海のサバイバル・スリラーは、それぞれの職務をまっとうしようとする事故関係者たちが織りなすレスキュー・ドラマとしても熱い興奮を誘う一作となった。
監督のアレックス・パーキンソンは、2019年に発表した同名ドキュメンタリー映画で大反響を呼び、題材となった潜水事故の裏側を知り尽くしたフィルムメーカーである。実際に事故が起こった船での撮影を実施するとともに、飽和潜水の作業手順や機材などの細部のリアリティーを徹底的に追求。さらに劇映画ならではのスケール感とダイナミズムを打ち出し、閉所恐怖症的なスリルがみなぎる水中シーンでは、このジャンルの最高峰である『ゼロ・グラビティ』を彷彿とさせる圧倒的な没入感を創出した。また、過度な誇張を避け、実話ものとしての再現度が極めて高い本作は、事故のドキュメンタリー映像も劇中で使用している。
キャストには、ベテランと若手の実力派が揃った。経験豊富な最年長の潜水士ダンカンを人間味豊かに演じるのは、『ラリー・フリント』『スリー・ビルボード』などで米アカデミー賞に3度ノミネートされた実績を持つウディ・ハレルソン。加えて、マーベルのスーパーヒーロー映画『シャン・チー/テン・リングスの伝説』のタイトルロールを演じて脚光を浴びたシム・リウがストイックな潜水士のデイヴ、Netflixの人気ドラマ・シリーズ「ピーキー・ブラインダーズ」のフィン・コールが絶体絶命の危機に見舞われるクリスに扮し、迫真の演技を披露している。
story
若き飽和潜水士のクリス(フィン・コール)が婚約者としばしの別れを惜しみ、スコットランドのアバディーン港で潜水支援船、タロス号に乗り込んだ。これから1ヵ月間、クリスが従事するのは、北海の海底に張り巡らされたガスのパイプラインを補修する定例のミッションだ。クリスがチームを組むのはベテランのダンカン(ウディ・ハレルソン)と、人当たりはぶっきらぼうだがプロ意識が強いデイヴ(シム・リウ)。深海の水圧に適応するための加圧チャンバーに入ったクリスは、そこで敬愛するダンカンが会社から引退を宣告され、これが最後の潜水になると知ってショックを受ける。
やがてタロス号は作業地点の海面に到着し、潜水ベルに乗ったダンカン、デイヴ、クリスは水深91メートルへと下ろされていく。完全な暗闇と静寂に支配された海底に降り立ち、マニホールドと呼ばれる構造物で補修を行うのはデイヴとクリス。ダンカンは潜水ベルにとどまって、作業の進捗状況を確認する役目を担う。
すべての行程は順調に進んでいたが、デイヴとクリスがマニホールドでの作業を開始して間もなく、海上のタロス号で思わぬトラブルが発生する。コンピュータ・シスタムが異常をきたし、折しも到来した暴風雨によって船体が流されてしまったのだ。いち早く異変に気づいたデイヴは作業を中止し、クリスとともに避難行動を取るが、クリスの潜水服に酸素や電力を供給するケーブルが構造物に引っかかってしまう。デイヴの指示で緊急ボンベに切り替えるが、緊急用の酸素は10分しかもたない。その直後、命綱が切れたクリスは深海の暗闇の彼方へと流されていった。
その頃、荒波に流され続けているタロス号の制御室では、潜水作業の監督官クレイグ(マーク・ボナー)、船長のアンドレ(クリフ・カーティス)らが懸命の対処を試みていた。通信不能になった3人の潜水士を救うためには、何としても船を作業地点に戻さなくてはならない。アンドレは危険を伴う手動操縦によって船を戻すことを決断。クレイグは無人潜水艇による探索で、マニホールドの上部で意識を失ったまま横たわるクリスを発見する。かろうじてクリスの生存反応は確認されたが、このときすでに緊急ボンベの酸素が切れてから7分以上が経過していた。しかもタロス号の船位を安定させるには、コンピュータ・システムを一刻も早く再起動させる方法を見つけ出さなくてはならない。それは、あまりにも絶望的な時間との闘いだった。
それでも深海の潜水ベルの中で待機するダンカンとデイヴも、タロス号の乗組員も、誰ひとりとしてクリスの救出を諦めなかった。そしてデイヴは、命綱が切れる直前にクリスと交わした「必ず助ける」約束を果たすため、再び荒れ狂う海中へと身を投じるのだった……。
production
note
大成功を収めたドキュメンタリーから
長編劇映画へのアップデート
2012年9月、定例航海に出た飽和潜水士のダンカン・オールコック、デイヴ・ユアサ、クリス・レモンズは、深海での作業中に大事故に見舞われた。潜水支援船がコンピュータ・エラーによって海面を流され、レモンズに酸素や電源を供給し、通信を行うアンビリカルケーブルが切れてしまったのだ。酸素が残り数分しかもたない状況で、オールコックとユアサはレモンズ救出のために時間との闘いを繰り広げた。
アレックス・パーキンソンとリチャード・ダ・コスタが共同監督を務めたイギリスのドキュメンタリー映画『Last
Breath』(2019)は、記録映像や音声、再現映像、インタビューを駆使して船の内外での出来事を描いた。同作品の成功に手応えを感じたメットフィルムのプロデューサー、スチュワート・ル・マレシャルとアル・モローは、同業者の父子ポール&デヴィッド・ブルックスに長編映画化を打診した。ポール・ブルックスが振り返る。「すっかり心を奪われてしまった。人類の最善の部分と、絶対に諦めない人々の姿を描いたストーリーだ。すごく魅力的だと感じた」
製作チームから協力を要請されたダーク・キャッスル・エンタテインメントのプロデューサー、ノーマン・ゴライトリーはこう語る。「私たちはすぐに動き出した。面白い映画というだけでなく、人間性や希望、不屈の精神といった普遍的なテーマがあったからだ。最高のストーリーは観る者をゾクゾクさせ、楽しませ、考えさせ、感動させる。インスピレーションを与えることもある。クリスのストーリーはそのすべてを備え、さらにそれを超えてきた」
ストーリーテリングの腕を買われ、製作陣からメガホンを託されたのは、ドキュメンタリー版を手がけたパーキンソンだった。パーキンソン監督は「この物語と向きあってもう10年。表も裏も知り尽くしている。そこへ提示されたのが、ドキュメンタリーの枠を超え、白紙のキャンバスのように何でも描ける劇映画の企画だった。ドキュメンタリーのリメイク以上のものにしようと考えた。この驚くべきストーリーを可能な限り最大のスケールで描き、登場人物の感情の旅路の新たな側面を追求したかったんだ」と熱く語っている。
ダイバー3人のヒロイズムを体現する
俳優たちのキャスティングと役作り
脚本が仕上がった後、製作チームは現実のダイバーのヒロイズムを的確に表現できるキャストを探し求めた。そしてウディ・ハレルソン、シム・リウ、フィン・コールという冒険心あふれる俳優たちを見出した。製作のポール・ブルックスがキャストについて語る。「最終的に、本当に求めていた3人の俳優にめぐり合うことができた。皆、とても仲がいいんだ。彼らが生み出すケミストリーは素晴らしかったし、それをスクリーンで観ることができると思う。本物の友情のように感じられるはずだ」
撮影に先立ち、リウとコールは水中撮影の中心地であるマルタ・フィルム・スタジオの潜水プールでダイビングの特訓を行い、潜水監修のアビゲイル・ボーグの指導のもと、1週間かけて飽和潜水の機材の使い方を学んだ。ふたりは共にスキューバ・ダイビングの経験者だったが、訓練はかなりきつかったという。
マルタでの水中撮影で映像化された
飽和潜水の過酷な現実と海底の暗闇
本作の撮影は2023年2月に北海で始まり、実際に事故が起こった船を使って行われた。製作チームは翌月にマルタへ移り、イングランド、ドイツ、イタリア、ブルガリア、オーストラリアなどの各国から世界的に著名なクルーを集めた。マルタの現地クルーは海外から来た一行を歓迎し、インスピレーションあふれる環境を提供した。ウディ・ハレルソンは賛辞を惜しまない。「マルタは何と言っても人が素晴らしい。特にクルーがとても優秀で、本当にいい時間を過ごせた。彼らはやるべきことを理解していて、驚くほど感じがよくて、仕事ができるプロだった」
主人公たちのモデルになったダンカン・オールコック、デイヴ・ユアサ、クリス・レモンズも撮影現場を訪れ、アドバイスや見識を提供した。デイヴ役のシム・リウは本人との対面を熱望していた。「彼はとてもストイックかつ現実的で、感情をほとんど表に出さない。彼に会えてとても興奮したし、本当に光栄だったよ」。またレモンズの訪問は、彼を演じるフィン・コールにとって衝撃的かつインスピレーションに満ちたものだった。「クリスの温かさとエネルギーを感じて、ぜひそれを表現したいと思った」
リアリティとスケールを追求した
実物さながらのプロダクション・デザイン
本作では船の内外で起こったことを忠実に再現するため、実物さながらのプロダクション・デザインが求められた。 プロダクション・デザイナーのグラント・モントゴメリーは本作について、「とにかくスケールが重要だった」と言う。「ブリッジのスケールには、スペースの広大さ、そして乗組員の任務の膨大さを反映させたかった。金属加工チームと建築チームが協力して金属と木材の主要構造物を作り、特注の巨大な特撮用ジンバルに載せた」。ブリッジの構築は国際的な協働となった。制御卓はベルリンの小道具チームと電気技師、スクリーンに表示されるグラフィックスは英国を拠点とするテリトリー・スタジオが担当した。3Dプリンターでスラスターなどの装飾品を製作したのはマルタのモデラーだ。美術部門の細部へのこだわりに、パーキンソン監督は舌を巻いた。「初めてブリッジに足を踏み入れると、すぐに本当の船に送り込まれたように感じたよ」
comments
順不同、敬称略
加藤よしき
ライター
深海に取り残され、残る酸素はあと10分だけ。
詰んだ! でも海のプロは諦めない!
難易度最凶の“人命イライラ棒”を見届けてください。
サバイバル映画の新たな名作……あ、ただし閉所恐怖症の人はご注意を!
清水崇
映画監督
普段、意識しない“死”は
実は常日頃からすぐ目の前にある。
本作は潜水士の実話だが、
そんな当たり前の事を改めて意識し、
“生”を謳歌しようと思わされる
緊迫の90分……
小島秀夫
ゲームクリエイター
海底パイプラインを修復する潜水事故に基づく奇跡の物語。始終、閉塞感と酸欠感を、緊張感を持って描く。リスクを顧みず、命懸けで仲間を生還させようとする誰もがみんな格好いい。何度も号泣してしまった。誰にも知られていないが、世界の何処かでは“危険”を承知で作業を続けている影の英雄たちがいる。ウディ・ハレルソンも良かったが、スーパー・パワーを持たない、カンフーもしないシム・リウが、生身の格好良さを出していた。
ワタリ119
芸人
絶対に体験することのないような状況で次第に緊迫感に飲まれ、観てる自分も息をするのを忘れ、海底にいる主人公の追体験をしてるような映画でした。
普通なら諦める状況の中最後まで生きるため、そして仲間たちはクリスを助けるため、全員が最善をつくしあがく、他のチームが祈り続けて見守るシーンには涙が込み上げてきました。
杉山すぴ豊
アメキャラ系ライター
青く広いはずの海がダークな迷宮に!クライマックスは思わず「急いで」と声が出てしまいました。
胸がおしつぶれそうな緊迫感と胸に響くシム・リウの活躍!冷たい海底でくりひろげられる熱いドラマです!
小森陽一
作家・マンガ原作者
先月、潜水士を志す高校生の物語を書き上げたばかりだ。
彼等にこの作品を薦めていいものかどうか、正直なところ迷っている。
ここで描かれていることは真実だ。
なんの忖度もしてくれない自然という現実、
仲間を思い、決して諦めない人間の尊さ。
海の物語がすべて詰まっているといっても過言ではない。
橋本昭夫
元飽和潜水士・日本サルヴェージ株式会社所属
職業として飽和潜水を行う者として、本作のリアリティに息を呑みました。極限状況の中、深海での孤独 、仲間との絆、そして生還への執念。技術は進化しましたが、仲間を信じ、決して諦めない人間の精神力の強さは変わらない。
人間食べ食べカエル
人喰いツイッタラー
凄まじい緊迫感。僅かなミスすら許されない繊細な作業で救助を試みる様は手が震えるほど恐ろしいが、それでも決して諦めまいと戦う姿はあまりにも格好良い。絶望と希望が押し合い圧し合いしてどちらに転ぶか、祈りながら観る映画。
藤織ジュン
可愛すぎない海女(北限の海女)
プロの仕事をするカッコ良さを感じる作品でした。
死と直結する事故の後、誰もパニックにならず、冷静に対処する姿に感動しました。
ダイバーたちにも当たり前に家族がいて、飽和潜水士の誇りと危険な仕事をすることへの葛藤にも心を打たれました。
村田清臣
日本水難救済会、静岡地区水難救済会、会長(80歳現役ダイバー)
私にとって非常に素晴らしい物語でした。私も長年水難救助ダイビングを行なって居ます。
ウネリの中で潜水士が救助中ダイビングベルから力だけに頼らずウネリを利用して上がれと助言していたリーダーの言葉さすがです。私も救助中に波やウネリを利用して要救助者を船に収容した経験もあり感動したシーンの一つでした。知床の遊覧船沈没事故を思い出しました。
武田真一
フリーアナウンサー
冷たい漆黒の深海。ひと呼吸ごとに確実に死へ近づく絶望感。「必ず助ける」という約束は守られるのか。緊迫した救出劇のリアリティは、飽和潜水という技術の奥深さや、そこに従事する人々への深いリスペクトによって裏打ちされている。ひとりの命を救うために奮闘した人々、そしてパーキンソン監督をはじめ製作陣の真摯な姿勢に、胸が熱くなる映画だ。
ISO
ライター
深い海の底に独り取り残され、10分後には酸欠が迫る極限の状況。想像するだけで身震いする恐怖のなか、生きたい者と助けたい者の命への執着が交差する。ハリウッド映画の真骨頂ともいえるヒロイックな物語、その面白さと感動をこれほど無駄なく堪能できる作品はなかなかお目にかかれない。
サメ映画ルーキー
日本サメ映画学会会長
サメという捕食者が姿を見せずとも、海の底には深淵の悪夢が広がっている。だが人類はなおも闇に抗い、力を尽くし、最後の一瞬まで戦い続ける。そこに光が差すことを信じて。